療育パワーアップ講座

自閉症や知的障害がある子には「ことば」は通じない?コミュニケーションはできない?

どうも,まっつんです。

私達は普段から物事を考えたり,人とコミュニケーションを取るときに自然と「ことば」を使っていますね。 このブログだって「ことば」を使っていろいろな情報や,僕の考えなんかを皆さんに届けようとしています。

でも,自閉症や知的障害を持つ子の中には,その「ことば」を自在に扱えない子も少なくありません。 発語がない子だっていますし,周りの人たちが投げ変えける「ことば」に対して無反応な子だっています。

そんな子達には「ことば」は通じていないのでしょうか?

彼らには「ことば」はないのでしょうか?

「ことば」がなければコミュニケーションは成立しないのでしょうか? そして,「ことば」がないように見える彼らとコミュニケーションを取ることはできないのでしょうか?

今回は,コミュニケーションを障害と「ことば」という軸から少し考えてみたいと思います。 そして,今回は非常に”当たり前”のことを言います。

「ことば」は文字で表せるものだけなのか

「ことば」は一般的に文字で表せるものが多いでしょう。 日本語ならひらがな,カタカナ,漢字を使って表すし,英語ならアルファベットで表します。

でも,「ことば」として扱われているものすべてが文字で表されているのでしょうか。

未開の部族の中には,「ことば」を持っていても文字を持たない部族もいるそうです。 マチュ・ピチュ遺跡で有名なアンデス文明も文字は持っていなかったとされています。

「ことば」と文字は必ず一対で存在するものという訳ではなさそうです。

「ことば」は必ず音声を伴うものなのか

私達が「ことば」を使って会話するときには,たいていの場合,口から「ことば」を発して会話を行います。 さも,「ことば」とは音声を必ず伴うものと思ってしまいがちなような気がします。

でも,今あなたが読んでいるこの文章は音声を伴ってあなたにメッセージを伝えているわけではありません。 もちろん,僕も今パソコンに向かって,一字一字声に出しながら打ち込んでいるわけではありません。

平安時代には,お互いの恋心を文にしたためて送りあっていました。 現代では,LINEやSNSを使えば音声を伴わなくてもいろんな人にメッセージを伝えることができます。

そして,音声を伴わない「ことば」の代表として手話だって存在します。 手話は全く音声を発することなくコミュニケーションを成立させてくれます。

「ことば」にはどうやら音声が伴う必要もないようです。

言語体系が違えば「ことば」は変わる

最後に「ことば」とはすべての人に共通のものなのでしょうか。 これはすぐにみなさん答えが出ると思います。

もちろん,すべての人に共通の「ことば」はありません。 もし,すべての人に「ことば」が共通に伝わるのなら,あんなに必死になって英語を勉強しなくてすみました。徹夜でテスト勉強もしなくてすみまた。外国人に道を聞かれても戸惑わずにいられました…。

と,日本語や英語,中国語,スペイン語,ポルトガル語,ロシア語,イタリア語,フランス語,ドイツ語…。 すべてそれぞれの独立した言語体系を持っています。

日本語の中でも方言は地域によって多少異なる言語体系を持っています。

そして,先ほどあげた手話だって異なる言語体系を持っています。

でも,それぞれがみんな「ことば」の一つの形なのです。

つまり,「ことば」はどうやら共通のものではないと言える様です。

「ことば」はコミュニケーションに必須な要素か

まず,大前提として「ことば」はコミュニケーションに絶対的に必要不可欠な要素なのでしょうか。

私達は,「ことば」の通じない外国でもなんとかコミュニケーションを成立させようとします。 その時は「ことば」よりももっと多くの動作や表情など,「ことば」以外の要素を使って人とのやり取りを行っているでしょう。

バーバル(言語)コミュニケーションとノンバーバル(非言語)コミュニケーションの違いです。
そして,扱う「ことば」が違ってもノンバーバルコミュニケーションの助けを借りれば異なる「ことば」同士でも通じ合う事が出来ます。 決して「ことば」だけがコミュニケーションの全てではありません。

そう考えるとコミュニケーションに「ことば」は,”絶対的に必要不可欠”とは言えないでしょう。

自閉症や知的障害の子達の「ことば」とコミュニケーション

自閉症や知的障害を持つ子達の中には,「ことば」を音声を伴って相手に伝えることが上手くできない子がいます。 でも,「ことば」には必ずしも音声を伴っている必要はないようです。

自閉症や知的障害を持つ子達の中には,文字を読めなかったり,上手く書き表せなかったりする子がいます。 でも,「ことば」は必ずしも文字で表さなければいけない訳ではありません。

自閉症や知的障害を持つ子達の中には,絵カードなどを使わないと「ことば」を上手く伝えられない子がいます。 でも,「ことば」はその言語体系が変われば表現の仕方は同じでなくてかまいません。

自閉症や知的障害を持つ子達の中には,「ことば」を上手く扱えない子がいます。 でも,ノンバーバルな力を借りればコミュニケーションに「ことば」は絶対的に必要不可欠ではありません。

さて,自閉症や知的障害を持つ子は”「ことば」が通じず,コミュニケーションができない子”たちなのでしょうか。

ついつい忘れがちになってしまうこと

「ことば」はコミュニケーション成立のための十分条件ではあるけれど,必要条件ではありません。 もちろん,「ことば」がお互いにスムーズに伝えあえる方がよりコミュニケーションは潤滑になるでしょう。

「ことば」はついついコミュニケーションに必須なものだと思ってしまいがちです。 さらに,「ことば」は皆が同じように用いるものだとも思ってしまいがちです。

自分の意思を伝えるために「ことば」の力を借りればスムーズに伝わるかもしれません。 でも,必ずしも「ことば」がなければ自分の想いが相手に伝わらない訳ではありません。

みんなが共通の「ことば」を使えばより理解は早く分かりやすくなるでしょう。 でも,同じ「ことば」を使っていなくてもお互いに分かり合う事は可能です。

「ことば」として絵カードを使ったり,自分の意思表示のために体の一部を少し動かしてみたり,それでもコミュニケーションは成立することができるのです。

同じ社会の中で生きているからと言って同じ「ことば」を使う必要もありません。 お互いに相手を理解しようとする気持ちがあれば,異なる言語体系を持っていても通じ合う事が出来ます。

自閉症や知的障害を持つ子達は,周りの人たちを同じような「ことば」を上手く使うことができないことがあります。 でも,それはそのまま”ことばが通じない”という事も,”コミュニケーションができない”という事も意味してはいません。

コミュニケーションは必ず同じ「ことば」を使わないと通じ合えないものではないのです。

彼らの発信はごくごく微弱であることも少なくないです。 それでも,彼らの中には周りの人に意思を伝えたい,つながっていきたいという思いが必ずあります。

「ことば」に対して反応していないように見えても,それはもしかしたら彼にとって「理解しにくい言語体系」だっただけかもしれません。 もっと異なる言語体系の「ことば」なら反応ができ,コミュニケーションが成立する可能性があります。

自閉症や知的障害を持つ子は”言葉の通じないコミュニケーションができない子”では決してないのです。

という訳で,長々書きましたが,結論はとても”当たり前”の事を書きました。

本当にごくごく”当たり前”の事です。

このごくごく”当たり前”のことがもっともっと多くの人に届くことを願っています。

この記事が参考になった方は,下のSNSボタンからシェアお願いします。関連記事も下からぜひ。

ABOUT ME
まっつん|発達支援の心理屋
〈記事監修〉公認心理師/社会福祉士 大学・大学院で臨床心理学を専攻。主に愛着(アタッチメント)の発達とその認知過程について研究を行う。大学在学中より培ったグループワークを活かし放課後等デイサービスで発達障害を持つ子の支援にあたる。現在は発達支援の情報発信をしながら支援に携わる人に向けた「支援する人も楽になる働き方」コンサルやアドバイザーをつとめている。
コンサル・コーチングを受ける
発達支援の困った!仕事の悩みを相談する!